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最高裁判所第一小法廷 昭和32年(オ)934号 判決 1960年3月31日

上告人 浜西栄作

被上告人 富山税務署長 実正漣子

訴訟代理人 河津圭一 外一名

主文

原判決を破棄し、第一審判決を取消す。

被上告人富山税務署長が富山県下新川郡加積村上村木一七五番地北陸鋳造株式会社に対する国税滞納処分として昭和二五年八月二一日富山地方法務局東岩瀬出張所登記受付第三八九八号を以て差押えた別紙目録記載の土地に対し昭和二六年一〇月二二日被上告人実正漣子を競落人としてなした公売処分の無効なることを確認する。

被上告人実正漣子は同被上告人を権利者として昭和二六年一〇月二九日富山地方法務局東岩瀬出張所登記受附第一六四一号を以て前項の土地についてなした所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

訴訟費用は全審級を通じ被上告人らの負担とする。

理由

上告代理人弁護士松岡松平、同大庭登の上告理由第二点について。

(イ)  別紙目録の本件土地はもと、訴外株式会社北陸製作所(後に商号を北陸鋳造株式会社と変更)の所有に属していたこと。

(ロ)  上告人は右会社から昭和二一年二月八日本件土地を買受け代金の支払を終つたが、右会社側の都合でその所有権移転登記手続が未済となつていたこと。

(ハ)  上告人は同二月一五日魚津税務署長に対し本件土地を自己の所有財産として財産税の申告をなし、次いでこれを納入したこと、そして右申告書には「登記面は下新川郡加積村上村木株式会社北陸製作所代表者石田由正分」と明記していたこと。

(ニ)  上告人は右所有権の取得後本件魚津説務署長としては、上告人が本件土地の所有権を取得したものであることを一応承認していたこと。

(ホ)  上告人は右所有権の取得後本件土地の上にあつた建物を訴外金谷清吾に売渡した上、右土地を同人に賃料五〇〇〇円で賃貸するとともに、右土地に対する公租公課の微税令書が登記名義人である前示会社に送達されないように所轄富山市役所東岩瀬支所に対し金谷清吾において代納するから同人に令書を交付されたい旨申出で、右会社宛の徴税令書は同人が受取り同人は上告人に支払うべき右賃料を以て昭和二一年度の地租及び地方税昭和二二年以降二四年頃迄の地方税を代納したこと。

(ヘ)  魚津税務署長は前示会社に対する滞納税徴収のため同会社所有の富山県下新川郡加積村上村木一七五番地所在工場内の機械器具を差押えたところ、本件土地に対する税金を上告人のため代納していた金谷清吾が事業不振により滞納したため富山市役所東岩瀬支所から登記名義人である右会社に徴税令書が送達され、同会社の事実上の支配者であつた福井友次郎において、本件土地がなお同会社名義になつていることを知るに及び、これを奇貨とし福井友次郎から魚津税務署係員に対し既に差押えられている会社所有の機械器具に代えて、本件土地を差押え、機械器具の差押を解放されたい旨陳情し、昭和二五年三月三〇日本件土地の所在地を管轄する富山市役所東岩瀬支所の所有証明書を添付して本件土地に対する差押希望書を提出したところ、魚津税務署長は右申請を容れこれに関する事務を本件土地について管轄庁である被上告人富山税務署長に引継ぎ同被上告人は右所有証明書に基いて昭和二五年八月二一日本件土地を差押え、かつ同日その登記を経由したこと。

(ト)  かくて被上告人富山税務署長は本件土地に対する公売処分を実施し、昭和二六年一〇月二二日被上告人実正漣子を権利者とする公売処分を了り、同月二九日富山地方法務局東岩瀬出張所受附第一六四一号を以て被上告人実正漣子を権利者とする所有権移転登記手続を経由したこと。

(チ)  本件土地の買受後その所有について何人からも異議を差しはさまれなかつた上告人は前示会社に対する滞納処分として前示差押がなされたことを知るや、直ちに弁護士小林宗信を代理人として富山税務署に対し数回に亘り本件土地は上告人が買受け所有するものであるから差押を解除されたい旨陳情し、証明書類として前示会社の代表者石田由正と上告人間の売買契約書を示し一方上告人自身も魚津税務署係員に同様苦情を申出で、次いで本件土地につき昭和二五年八月三一日自己の為めに所有権移転登記手続を経由すると同時に右弁護士小林宗信をして被上告人富山税務署長に対し同年九月一四日滞納処分取消申請書を提出させたところ、富山税務署係員は本件土地の登記法上の名義が上告人でないことの事由で右陳情を取上げず右申請書はこれを正式に受理しながら富山税務署員土肥喜久夫の書類箱に抛置たまま失念し、本件訴が提起された後もしばらくその存在に気付かず、約一年半を経過した昭和二八年六月四日(前示差押登記後約三年を閲している)に至り差押当時上告人において登記がしてなかつたとの理由で、右申請を棄却する旨通知したこと。

以上が原判決において確定されている事実である。

よつて、叙上の事実関係の下において被上告人富山税務署長は上告人の本件土地の所有権取得について、登記の欠缺を主張するについての正当の利益を有する第三者に該当するか、どうかを判断するわけであるが、この点に関し当審の判断を覊束する前上告審判決は次のように述べているのである。すなわち、本件のような場合国が上告人の本件土地所有権の取得に対し登記の欠缺を主張するについて正当の利益を有する第三者に該当しないという為めには財産税の徴収に際し前控訴審判決の認定したような経緯、詳言すれば、上告人は前示差押登記前である昭和二一年二月一五日魚津税務署長に対し本件土地を自己の所有として申告し、同署長は該申告を受理して、上告人から財産税を徴税したという事実だけでは足りず、更に上告人において本件土地が所轄税務署長から上告人の所有として取り扱わるべきことを強く期待することがもつともと思われるような特段な事情がなければならないというものである。

そこで考えてみるに、原審は前控訴審判決の確定した右事実に附け加えて前掲(イ)ないし(チ)の各事実を確定しているのであつて、これらの事実、殊に上告人の提出した前示財産税の申告書には特に「登記書面は前示訴外会社代表者名義になつているが、実質は上告人の所有であること」の趣意を記していたこと、魚津税務署長は上告人が本件土地の所有権を取得したものであることを一応承認していたこと、そして爾来前示差押登記のなされた昭和二五年八月一日に至る約五年の間上告人は何人からも本件土地の所有に関し異議を差しはさまれたことのないこと、上告人は前掲(ホ)に示したように、本件土地の所有権を取得したものの登記面は依然所有者名義になつていたのでその公租公課の徴収令書が登記名義人に送達されぬよう特に配慮し、右徴収令書もその代納入が受取り、かつ同人において国税地方税(一部)を納入していたこと、そして右差押登記がなされたのを知るや上告人は富山税務署又は魚津税務署に対し陳情または正規の手続によつて、本件公売処分の取消方を求めたところ、被上告人富山税務署長はこれに対しその決定を前示のように遷引していたこと本件公売処分がなさるるに至つた関係については前掲(ヘ)に示したような事情が伏在していたこと等の事実に着目して考察するときは前上告審判決にいう上告人において、本件土地が所轄税務署長から上告人の所有として取り扱わるべきことを強く期待することが、もつともと思われる事情があつたものと認めるを相当と考える。

さすれば、被上告人富山税務署長は上告人の本件土地の所有権取得に対し登記の欠缺を主張するについて正当の利益を有する第三者に該当しないものと認むべきが故に、被上告人富山税務署長のなした前示差押並びにその登記を含む一連の本件公売処分は滞納者の所有に属しない目的物件を対象としてなされたものとして競落人たる被上告人実正漣子に目的物件の所有権を取得せしめる効果を生じないとする意味において無効となり同被上告人のためになされた前示所有権取得登記も抹消されるを免れないものと言わざるを得ない。

されば、原判決は民法一七七条の解釈を誤つたものというべく、この誤りは原判決主文に影響を及ぼすこと勿論であるから本論旨(但し違憲をいう点を除く)は結局理由あるに帰し、原判決は爾余の論点の審究をまつまでもなく、上叙の点において到底破棄を免れない。そして、事案は当審において自判をなす程度に熟しているものと認められるが故に、上告人の本訴請求は全部これを認容すべきものとする。

よつて、民訴四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

(裁判官 下飯坂潤夫 斉藤悠輔 入江俊郎 高木常七)

目録

富山県富山市東岩瀬町

字      地番     地目 反割

荒木町  七百十一番地の一   宅地 三十九坪二合

同右   七百十一番地の3の一 同右 六十四坪六合二勺

同右   七百十一番地の三の二 同右 九坪

同県同市西宮

金田下割    三番地     同右 十五坪一勺

同右      四番地     同右 四十六坪六勺

同右      五番地     同右 四十四坪八合六勺

同右      六番地     同右 十五坪五合四勺

金田下割    七番地     宅地 二十坪六勺

同右      八番地     同右 二十六坪六合四勺

同右      十番地     同右 百十坪一合四勺

同右     十一番地     同右 百四十三坪一勺

同右     十四番地の一   同右 百二十一坪八合三勺

上告代理人松岡松平、同大庭登の上告理由

上告人 浜西栄作

被上告人 富山税務署長

外一名

第一点 第一審並に原判決には憲法第十三条の違背がある。

控訴判決は、被上告人等は、本件土地につき、上告人の登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に該当するか、どうかを判断し、

『国については、上告裁判所が説示する如き、財産税の徴収に関し、所轄税務署長がとくに控訴人の意に反して積極的に本件不動産を控訴人の所有と認定し、或は爾後もなお引続いて右土地が控訴人の所有であることを前提として徴税を実施する等、控訴人において、本件土地が所轄税務署長から控訴人の所有として取扱わるべきことをさらに強く期待することがもつともと思われるような特段の事情を肯認するに足りる証拠がなく、その他、背信的行為を肯認すべき証拠がないし、被控訴人実正漣子にも、本件競落において背信行為ありと断ずるに足る証拠がないことに帰し、控訴人の本訴請求は、いずれも失当として棄却を免れない。右と同旨に出でた原判決は相当であり、本件控訴は棄却すべきものとする』と判定を下したのである。

しかしながら、本判決を見て感ずることは、その判断の根底を流れる、反民主主義の考え方である。すなわち、本判決の基本的な考えは、旧時代のイデオロギーであつて、国家機関は、国民に対し特異の存在であり、支配的関係にあるものの如く解し、国民を今なお、「民草」の如く考え、「主権者」なりと肯定していない、旧憲法下の法理念を踏襲するものといわなければならない。

新憲法が基本的人権保障に関する条章を設け、「国民が生れながらにして有する人権の保障」を明記し、特に、第十三条をもつて、『国民個人の生命、自由、幸福追求に対する権利について公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とし』と規定したことは、旧来の立法上及国政の上で、国民に対し、支配的、独存的立場にあり、国民を「民草」として取扱つてきた考え方、慣行等を排除するために外ならないのである。

民主主義の基本的な考え方では、国家の機関は、国民を離れた独存的なものでなく、国民のための存在であり、国民を離れては、も早存在の意義を有しない。このことは、国家機関に携わる凡ゆる吏僚に撤底されていなければならない筈なのに、その不撤底のために、ついに、本判決の如き、憲法違反の誤りを犯しているのである。すなわち、本判決は憲法違反判決であるから、その誤りを根本から是正されなければならない。以下その理由を詳述せん。

(一) 控訴判決は、財産税を徴収した事実があつても、これだけでは、国は登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者にあたらないとは言えない、といつているが、これは、国民には納得し難いことである。苟しくも、国民が税の申告を行い、課税された税金を納入し、また、国の機関である税務署長が課税を行い、納入税金を受納すること等は、いづれも国民又は国の機関の意思の実現であり、その意思に反するものは見られない。

しかるに、判決は前摘示の通り

『財産税の徴収に関し、所轄税務署長がとくに控訴人の意に反し云々』

と擬律したことは如何なる理由に基くのか。

財産税は、戦後始めて新設された税であつて、国民の多くはこのために予期しない経済的苦しみを受け、財産税を納入するために多大の犠牲を払つたことは争うべからざる事実である。財産税を評して苛煉誅求なりとして悪税の攻撃すらおこり、国民の間に不平不満の声があつた税である。

その税金の徴収につき、上告人は自ら進んで、(いまだ登記も了しないのに)北陸鋳造株式会社から買受けて所有する旨を通告し、税納入の申告を為したので、魚津税務署長は、これに対し課税の通告を為し、上告人はその課税金額を納入し、同税務署はそれを受領した。

その間に、控訴判決が、認定の通り、上告人の意思に反したということはない。税の徴収に当り、国民の間に不平不満のないこと、具体的にいつて、納税者が喜んで「税」を納めることが、最も好ましいことであり、この状態が布延されて、はじめて安穏な財政の基礎が定まるというもので、これに反し、税の徴収がつねに国民の不平不満の対象となり、納税者と国家機関との間に、絶えず紛争をかもしている国家社会は、やがて破滅に至るというも過言ではない。かくの如き、最も忌むべき、国家機関と納税者の課税関係がない限り、国は常に国民に対し私有固定資産の帰属に関して民法第一七七条の登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に該当すると解したことは上告人の請求を排斥するために考案された理窟でしかない。

況んや、税の徴収につき、上告人をして本件土地の財産税を課税し、納税させたのは上告人の申告に基くもので、『控訴人の所有を確認したものとはいえない』と判定したことは「国民の良識に反し」一個の暴論というの外ない。

財産に対する課税である財産税、固定資産税等は、その所有者が納税者となるもので、本件の場合に、上告人が、本件不動産を自己の所有なりとして、財産税を申告し、魚津税務署長が之について徴税した以上は、本件不動産を上告人の所有なりと認めたが故であつて、若し申告人の所有でないことを知りながら、税を徴収したとせば、財産権の侵害で、当然、その徴税金は納税者に返還せらるべきものである。然るに、控訴判決の「財産税は申告納税制度にして一定期日に多数の申告を受けたので、実質的帰属に立入つて調査することは殆んど不可能に近かつたので、財産税を徴収したことは、控訴人の所有を確認したものとはいえない」といつているのは、申告納税制度の本質を無視した理論である。税務署は申告があれば何でもかでも徴税するのではあるまい。申告につき必ずや是否認を樹てて課税権を行使すべき旨法は規定している。財産税につきその申告を是認することは、所有権の帰属を認定すると共に為される課税処分である。

又、若し申告者が所有権者でなく、納税義務がないものであるならば、申告を否認しなければならないし、その認定を誤つていたことを後に発見した場合には課税処分の取消処分をしなければならない。そして納税義務のない者から、税を徴収していれば、国は当然にこれを還付しなければならない。このような申告納税制度において、その是否認、課税、取消等の行政処分が財産権の帰属を認定せずして為しうるものとは到底考えられないことである。

されば、財産税の徴収は、所有権の確認を前提とするものであつて、それについての調査の有無、難易とは別問題である。この点原判決は重大な誤を犯している。又、税の徴収後、税務署長から、誤つて徴収した税であるとして、還付の手続を取られない限り、国との間に、その所有を肯定した関係が持続しているものと看るが、近代国民の良識の命ずるところであろう。

(二) 右に詳述した通り、国の機関である魚津税務署長が、本件不動産につき一旦徴税し、その所有関係を肯定し、その関係が持続しておつたにかかわらず、同じ国の機関であつた富山税務署長が、北陸鋳造株式会社の要望を容れ、本件不動産を差押さえしたで、上告人は、甲第一四号証の一及二、甲第一五号証を以て、富山税務署長に対し、差押処分の取消を申請したのに対し、これに対し何等の処置を為さず、差押物件に付公売処分を実行したことは、国家の道義的存在を否定するものである。

魚津税務署、富山税務署はいづれも国の機関として一体のもので、国民に対し、別個の存在ではない。従つて、魚津税務署と富山税務署との間には機構上の一体性があり、行為の一貫性を有するもので、魚津税務署と富山税務署とは、国の機関として別個の存在ではない筈である。

随つて、魚津税務署が上告人の申告に基き、本件不動産につき、上告人の所有を肯定して納税を受け「徴収」を行つた以上、富山税務署はこの先行行為に規律されるが故に、誤つて為された差押処分は当然に処置せらるべきものであつた。

これは、国の機関として、両税務署を二分して考ふべきでなく、機構上の一体性、行為の一貫性から云つて当然のことであつて、仮令、何等の措置が採られなかつたとしても、後の差押処分は国の行為としての信義に反することになるので、法律上当然無効というべきものである。随つて、続いて為された、公売処分も亦無効に帰着し、その後の転得者に対しても同様の効果を及ぼすものといわなければならない。

何故ならば、国家は最高の道義的存在であり、その道義性は何人も犯してはならない。国家機関に犯罪能力なしとせらるるのは、国家の道義性から演繹されることで、国家を自然人の如く取扱うにおいては、その道義性を否定しなければならず、その犯罪能力を肯定することとなると、世の所謂悪徳者と同列に座することになるから、先に所有権を承認し、後に之を否定して差押を行うこともあり得ると雖も、この先行行為と後行行為との間に、「信義に反する」こと明かにして、先行行為が状態の変更のない限り、後行行為は、信義に反するものとして、法律上の効果を否定されなければならないからである。

然るに、控訴判決が斯る事明のことについて、最高三小法廷、昭和二九年(オ)第七九号同三一年四月二四日言渡の判決に拘束され「信義に反する関係」にあらずとしたことは失当である。

特に、憲法は、国が国民に対し、その幸福追求の権利を国政の上で最大限に尊重することを保障している。(第一三条)

これを財産に関する権利について云うならば、国は国政運営の上において、国民の幸福追求の権利の一部たる財産権に対し些かも危倶の念を抱かしめてはならないし、前後矛盾した取扱によつて不測の損害を生ぜしめて幸福追求を阻んではならないものである。この憲法の条章に照してみるとき、本件は、上告人に対し、一旦国が財産税を徴収するに当りその所有を肯定しておきながら、後に之を否認するが如き、差押、公売処分を行つたのであつて、これは明らかに憲法第一三条の国民の幸福追求に対する権利を阻むもので、憲法違反を免れない。

第二点 第一審判決並に原判決には憲法第二十九条の違背があり、且つ判決に影響すること明らかなる民法第一条、同百七十七条の違背がある。

(一) 控訴審判決はその理由において

『国の機関が一方において控訴人の所有権を認めて財産税を徴収し、他方においてこれを否定して訴外会社に対する滞納処分として執行したものである』

と事実を認定し

『国としてはこれを控訴人の財産として課税したものであり、控訴人の所有権を消極的にであれ、承認したことになるのである』

と断定している。にも拘らず、

『上告裁判所から破棄差戻しを受けた当裁判所は、上告審が破棄の理由とした事実上及び法律上の判断に覊束せられ、その上告審の説示によれば、本件において、国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に該らないというためには、財産税徴収に関し、右認定の如き控訴人が財産税を申告納入し、滞納処分取消申請をしたのみでは足りず、所轄税務署長がとくに控訴人の意に反して積極的に本件不動産を控訴人の所有と認定し、あるいは、控訴人において本件土地が所轄税務署長から控訴人の所有として取扱わるべきことをさらに強く期待することがもつともと思われるような特段の事情がなければならないと解するのが相当である』

として結局、国は登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に該ると判示している。

しかし、所有権の確認につき『消極的確認』とは一体何のことであるか甚だ諒解に苦しまざるを得ない。通常権利の消極的確認とは、権利の存在を否定することと考えられるのであるが、用語の問題はさておき、権利の存在を認める意味において消極的だと言い得る場合は、単に権利の存在を否定しないということだと解せざるを得ない。国が、土地の所有権を認めて財産税徴収することが、果してその「権利」につき消極的確認なのであろうか。

財産の帰属を認定せずにおいては、財産税は課せられない筈であり、然りとすれば、上告人に対する財産税の課税処分は財産権即ち土地所有権の積極的確認でなくして何であろう。これ以上に積極的な権利の確認が法律上あると云えるであろうか。

斯る国の課税処分は本件土地に対する積極的確認であることに充分であり、後に、これを否定する態度に出ることは、正に背信的態度であつて、道義的存在たる国が、斯る背信的態度を維持するにつき、登記の欠缺を主張することは、絶対に許されないところであり、民法第百七十七条を暗に上告人の権利を国に対抗し得ないものとすることはできない。これを敢えて、本件につき国は登記の欠缺を主張し得る第三者なりとした原判決並第一審判決は、明らかに民法第百七十七条に違背している。仮に百歩を譲つて、原判示の如く、斯る財産税の課税処分による確認方法では足りず、引いては背信的態度と云うことができず「特段の事情」が必要であると解さるとしても、本件につきその「特段の事情」がないと断定することは誤つた法的価値判断である。

前叙の如く、本件財産税の課税処分は今以つて取消されることなく、収納税金の還付手続は全然採られていないのであるから、このことは「控訴人の所有として取り扱わるべきことをさらに強く期待することがもつともと思われる」ような事情として充分な意味を持つものと考えられる。又、上告人が富山税務署長に対し滞納処分取消申請の手続をとつたことも、右に云う「控訴人の所有として取り扱わるべきこと」の特段の事情に値する。何故なら、右取消申請を正式に受理調査したとすれば、上告人の所有として取扱わざるを得ない事実が直ちに判明し、富山税務署としては上告人の所有を否定できなかつた筈であるからである。

なお、控訴判決は

『尤も、福井友太郎が訴外会社所有の機械器具が差押えられて困惑していた矢先、本件土地に対する納税通知書を受取り、本件土地が同訴外会社の社有名義なることを知り、これを奇貨として魚津税務署に対し、右機械器具に代えて本件土地を差押えて貰い度いと申出で、その差押に協力したことは前示の通りであり』

と認定し、更に「本件土地が訴外会社名義になつているのを奇貨とし、既に控訴人に売却され会社財産でないことを知りながら、福井より漁津税務署に対して、同土地を差押えて機械器具の差押えを解放され度いと申出で、その申出が実現するや、実正宗義は自ら妻たる被控訴人実正漣子の名義をもつて競落したのである」と認定しているのであつて、被上告人実正漣子が競落するためには、北陸鋳造株式会社等の税務署に対する詐欺的、横領行為が介在しなければ、その目的を達し得られなかつた事情、更に富山税務署が為した本件差押処分は詐欺に因るもので税務署が騙されて行政処分を為している事情等が明らかにされているのである。してみれば、本件土地が上告人の所有として取扱わるべきことを期待することは当然であつて、若し訴外福井等の虚偽の申告が魚津税務署に対して為されなかつたなら、おそらく税務署は本件公売処分を行わなかつたであろう。自己の登記名義になつている不動産ですら詐取される今日の世情において、名義が他人のものになつている場合に詐取横領されることは容易なことである。犯罪行為によつては、如何に万全な法的措置が構ぜられていても敵するものではない。原判決は、これを敢えて敵するが如き状態に置けというのであり、置かない限り、登記せざる不動産所有者の権利は認められない、というのである。これは難きを強いるものであり、民法第百七十七条の解釈上採り容うるべき論理ではない。

要するに訴外福井等の偽瞞行為がなかつたなら本件土地は富山税務署から当然に上告人の所有であるとして取扱われたのであつて、右の事情は、上告人にとつて、本件土地が上告人の所有として取扱わるべきを強く期待できる「特段の事情」と言うに足るものである。然らば、原判決に示された如く、仮に民法第百七十七条の解釈上、本件につき「特段の事情」が必要であるとしても、前記事情は正しくそれに該当するものであつて、原判決は、この点において「特段の事情に関する法律的価値判断を誤つており、引いては民法第百七十七条の適用を誤り、明らかな法令の違背があると言わなければならない。

(二) 若し、本件において、飽くまで国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に該るというのであれば、それは余りにも国民を愚弄するものと云うべきである。これ明らかに信義誠実の原則に反している。控訴審判決は、国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に該る以上、信義則にも反しないものであると判示しているけれども、これは民法第一条の解釈を誤つたものである。信義誠実の原則は実定法を超えた法原理である。実定法上正当行為であつても、それが法律関係として適しくない場合に適用さるべき法原理であつて、民法第百七十七条によつて律せられる規範より、より高次なものであらねばならない。この点控訴審判決は民法の解釈適用の誤りを犯している。

(三) 尚、仮に、富山税務署の本件公売処分が民法上、国税徴収法上違法でないとしても国が、嘗ては、上告人の所有であることを認め、これに対し課税処分をなし、今亦、これを否定して滞納処分をなすことは、国家課税徴収権の乱用であつて、斯る行政処分は行政行為として適法であるということはできない。

憲法は、国家権力の行使について、国民の基本的人権、福利の増進を最大限に尊重すべき旨規定している。就中、財産権についてはその不可侵を宣明している。即ち国民はその財産権の享有を国家から最大限に保障されているのであり、国はその恣意的な課税又は徴収処分によつてこれを乱りに侵害してはならないのである。

本件滞納処分は、前叙の如く、一旦認めた上告人の所有権を否定するものであつて、明らかに、恣意的な国家権力の行使による国民の財産権侵害である。然らば、本件公売処分はそれ自体憲法第二十九条に違反した当然無効の行政処分であると云わねばならない。

斯る公売処分を是認し、国権の乱用に加担して国民の財産権を侵害することを肯定した原判決並に第一審判決が憲法第二十九条に違背するは云うまでもない。当然に取消されなければならない。

以上

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